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宮西計三インタビュー「苦痛の報酬」4/4
裸のラリーズ
ーー音楽を始めるきっかけを教えてください。
宮西▪️色々聴いていたから、やりたいという気持ちはくすぶってました。

ーーライヴとか観に行ってました?
宮西▪️行ってない。漫画を描くのが忙しくて、映画を観に行ったりライヴに行ったりという時間はありません。

ーー裸のラリーズとかはどうやって知ったんですか?
宮西▪️松本にお住まいだった蘭精果(森島章仁)さんからです。京都の同志舎大学だったかな?そこにマンガ好きロック好きが集まってる細密画や短歌の愛好会が在ったのね、それに信大の蘭さんも参加していて「イマーゴ」なる同人誌を出してた。彼等が僕の「ヤングコミック」の作品を見て、これは!我が同志成り!と連絡をくれた。
その時、蘭さんにラリーズの話を聞いたのが始まりです。
その同人には歌人の蘭精果(森島章仁)さんは当然、デザイナーで装丁家の間村峻一さん、塚本邦雄さんのご子息である小説家の塚本青史さんが主な会員で居られました。
彼等の言い方では「これは、ウチらに引き込まなアカン!」だったらしい(笑)。
その蘭さんが信大生の頃、松本のロックシーンの若手にジムと名乗る人物がいた。その人が裸のラリーズのマネージャーだったんです。そういう繋がりでジム君を紹介され、ラリーズのライヴを見に行くようにもなって行くわけ。

遠藤ミチロウ
ーースターリンとの付き合いはいつぐらいからですか?
宮西▪️「漫画大快楽」を出していた檸檬社が潰れて、編集の小谷氏と菅野氏が独立するかたちでエディトリアル・ユニオン(E.U)っていう編プロを立ち上げた頃だから…81年位かな?
小谷氏が「漫画カルメン」菅野氏が「漫画ピラニア」を編集長として辣腕を振るってたよ(笑)。そこでアルバイトしてたのが遠藤ミチロウ。
彼は菅野氏と中高の同級生でね、だから自然な流れで知り合った訳です。それに前々から菅野氏からロックやりたいって友達が近く東南アジアから帰ってくるから、帰って来たら紹介するね、と言われてもいたし。

ーーミチロウさんはバンド活動は?
宮西▪️してましたよ。僕が最初に会った時は、スターリンの準備中って感じだったかな。いろんな計画を話してくれたよ。だがベースだけが決まらないのでベーシストを捜してるんだって言ってたな。今は仕方ないから自分がベース弾い演ってるとも言ってた。 近年になってイヌイ・ジュンちゃんと話しててもミチロウがベースを弾いた話は出てこないんだ。確かにぼくは元々ベースだからって言ってたけどな?
でも歌に専念したいからってね。曲もベースで作るって笑ってたもの。

ーーかなり古い付き合いですね。
宮西▪️でも、しょっちゅう会うわけじゃないからね(笑)。
それにミチロウは菅野氏の「漫画ピラニア」の手伝いだったし、ボクは小谷氏の「カルメン」で仕事してたから殆ど顔を合わせる事はなかったよ。

Onna
ーー宮西さん自身はギターとか弾いていたんですか?
宮西▪️いやっ!(笑)
ーーそれで、どうやって演ろうと思ってたんですか?
宮西▪️ギターは弾けなくても音は出せたからね(笑)。
自分の出せる音から好きな音を選べばイイだけじゃない? 頭の中に歌があったし、一寸探せは音は見付けられたから。それが「コルティジアーナ・ダル・ベーロ」。 こうなれば、演るしか無いでしょ!(笑)。

ーー栗原さんは今や世界でも人気のあるギタリストですが、その頃はまだ知られていませんよね。
宮西▪️そりゃそうですよ(笑)。でも、すごいギターでしたよ。
音の壁でしたね。
具現化されたサウンド!
ボクは初めて音とは触れることの出来る物だと知りました!
こいつはただ者じゃないと思ったよ。

ーー何曲ぐらいあったんですか?
宮西▪️3、4曲ぐらい。イヤ、6曲?練習の度に新しい歌を作ってたから、結構あったよ。

ーーじゃあ、対バンがあって。
宮西▪️そうなんだけど、ハコ側の押し付けるバンドは避けたかった。出来れば自主企画でのライブをと考えてました。 そこで、ラリーズの紹介者でもある長野の蘭さん(森島章人)に「対バンで、誰か若い子でいい子いないかなー?」って相談したら、現れたのが皇帝ペンギン。

ーーへーっ、これまた古い付き合いですね。
宮西▪️そうだね、まるで兄弟みたい?
子供頃、母親がよく言ってたよ「兄弟は外につくるもんや」って。思い出すね。
それで、ペンちゃんにも松本から来てもらって、前述の友人のデュオユニットとOnnaの三バンドで演りました。

ーーライヴは何回ぐらいやりました?
宮西▪️かなり演りましたよ。デビューがロフト。そのライヴが終わって即関西ツアーに出て…それを2年続けましたからね。

ーー「フールズ・メイト」でインタビューもありますね。その「フールズ・メイト」のインディーズ・チャートで「Onna」のシングルが一位になると。
宮西▪️インディーズ・チャートといってもあの頃は都内の主な外盤屋さん、モダンミュージックとか五番街、イースタンワークスね。その売り上げ調べだけだから、今とは違います。でも、3ヶ月ぐらい一位でしたよ。

ーー「Onna」として続く企画はなかったんですか?
宮西▪️やりたかったけど、どこのレーベルからもお声がかからなかったし、経済的にも最悪で続かなかった。第一にOnnaというバンドとしての音が未々見えてなかったからね。ボクの歌に周りが合わせてくれていただけと感じていた。まずは音が先決!
メンバーが栗ちゃんと二人だけの第二期Onnaの時期が半年ぐらいあって、そね間のライヴでボクと栗ちゃんとのOnnaという名前をつけられたバンドが合致したというか、それが「鹿鳴館」ライブ、「Jamスタジオ」ライブ、それと「エクスプロージョン」ライブです。
それは『Onna‐Eros』‐Onnaの世界‐というタイトルCDで聴くことができます。

ーーその後ライヴ活動は?
宮西▪️やってましたよ!
Onna解散後は、エレクトリック・ゲリラ、宮西計三とクモとハエ。どちらも皇帝ペンギンがギターです。
けれども、尻すぼみで、結局一人になって止めざるを得なくなった。

ーー編集者として働いている頃に薔薇絵さんと出会ってますね。なんか気になる女性がいるという話になって、「宮西さん、この大変な時期に何言ってるんですか?」と思いましたよ。(笑)それが薔薇絵さんだと分かり、納得しましたけど。
宮西▪️そうだったね。恋をしたの!お互い一目惚れでね(笑)、一ヶ月後に結婚しました。
薔薇絵と結婚することによって、バンド活動も再開するようになります。

ーー前向きになりましたね。
宮西▪️そのバンド復活がOnnaの第三期となるわけです!
メンバーは皇帝ペンギン/Gと、新にルーツブルーズにどっぷり浸かったデルタブルースマンのロイキ/G、それにボク/Vo,Gというギター3本の編成です!
ペンギンくんは呼び寄せて一緒に住むようになりました。一年位居たかな?そのうち薔薇絵も邪魔臭くなってね、「出て行け~!」ですよ(笑)

ーー新婚の頃ですものね。
宮西▪️ぺんちゃんとは不思議な関係ですよ。今でも親密に付き合ってるし、薔薇絵は毎日のようにメールのやり取りをしている。彼の協力も有って「宮西計三 & THE HEAVY FRIENDS」CD『異端教祖』も出来た。

収録/2024年9月8日 盛岡市安倍館にて (最終校正2026年4月2日)

注・ CD 「異端教祖」 宮西計三 & THE HEAVY FRIENDS 宮西計三最後の録音はこちらから。
注・フランスよりリリースされた「Onna last live 1983」 用に書かれたライナーノーツをアップしています。