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Onna last live 1983 ライナーノーツ
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「無自覚と意識」
AlbertThibaudetが詩人PaulVale'ryを論じた際、二つにタイプを大別した。詩人であるから詩句を作る者、又、詩句を知るがゆえ詩を作る者、である。これはVale'ryの恩師Ste'phaneMallarme'云うところの「VersdeCirconstance」を指す。(『類推の魔LeDe'mondeI'Analogie』)
「燭」の灯をすげ替えて、今や消えなんとしていた明かりは甦り生まれたばかりの火のように伸びをしてはユラユラと踊る。悪戯な風さえも愉しげに。
こんな夜、時の螺子を逆に巻き、たよりない記憶を辿ることも許されよう。
わたしの時の火は、さほど遠からぬ日に消え去る。この明らかな事実を意識するためにも今のわたしには必要なのだ。
このささやかな光りの中で……
こんな書き出しもいいもんだ。なんたって偉くなった気がするからな。
表題はこの音盤リリース国、フランスに対し最大限の敬意を表したつもりだ。なんたっておれの創作の三分ノ一の血は此国に負っていると言っていいからだ。
さあ、逆行機の猫ノ舌が跳ね上がり到着を告げた。
「時」は1983年8月21日。
確かにその日はおれにとって特別なはずだ。
会場は東京西新宿「新宿・ロフト」。
記念すべきOnnaのデビューライブである。
だのにおれの頭にゃポッカリ記憶の穴が空いたまま。少しのリアルも感情も浮かんで来やしない。
だいたい記憶なんてものは当てにはならない。一つのことも関わった人間の数だけ記憶があるわけだ。おまけにそれらは立場や関係によって変わってくる。それでいてみな誤りではないと来ている。どれもこれも体験が醸し出した思い出にすぎないからだ。しかし其処には真実が無い。
然らば何処にそれを求めるのか?
然るにおれはOnnaの張本人として、ごく簡単に輪郭だけをなぞるだけとしよう。陰影はご勝手にというわけだ。
「O」nnaはその年の前年から準備を始め、なんとかデビューライブに漕ぎ着けた。(此のライブの映像も録音も担当者の不手際で紛失している)
元来おれには音楽なんてものは無い。その才覚も、興味すらな。
だからOnnaはおれの中から自然と生まれたもので、ただ絵ではなく音でやっただけだ、なんて嘘は吹きゃしない。
それは突然現れた欲求だったのだからな。
己の表現を追求するうえでどうしても欠くべからざるものとして。言わば未知なる表現への誘惑とでも言おうか。
Rockが立ち上がったのだ。
だからOnnaはおれが考えぬいて作り出した純然たるおれの作品なんだ。
この未知なる旅の第一歩に賛同の手を挙げてくれたのがエロ漫画誌編集者でおれの担当だったMasayuki Yamamotoである。彼は裏方として相談役を勤めてくれた。次いで他社のアルバイト編集者Yue Iinoがベースとして名乗り出た。が、彼女は直ぐにスタイリスト兼メイク担当に変更となる。そしてドラムのKen Matutani ギターのMitchio Kulihara と続いて、音楽記事などを寄稿していたYuuitci Akadaがマネージャー。最後にYutaka Yasuiが助っ人として欠員のベースをうめてくれた。
以上がOnnaのオリジナルメンバーとスタッフである。
こうして純集客数260人を集めたデビュー戦を終えた。店側は300は欲しかったとぼやいたらしい。
不思議なことにライブ中の記憶もその前後の記憶も無い。覚えてることといったらごく僅……
リハーサル中、裸のラリーズマネージャーのJimと二言三言なにやら会話したこと、友人が煌びやかなバリの民族衣装で現れたこと……ライブ後にマネージャーから裸のラリーズのTakasi Mizutaniとザ・スターリンのMitcirho Endhoが来てましたと聞いたことぐらい。
ライブの星はステージではなく客席にあったわけだ。「馬鹿!早く言えよ!」とおれは苦笑した。
翌日、デビューの余勢を交って名古屋、京都、大阪と関西ツアーに出た。「心臓抜きツアー」である。タイトルはボリス ビアンの小説から頂いた。
それはもう散々な三日間だった!思い出すのも嫌なツアーだ。幸い全く記憶が無いのが嬉しい。
とにかく暑かったこと、どこかの劇団の稽古場での雑魚寝、隅に転がってた青いフランジャー、西部講堂に落ちていたサングラス、京都の銭湯、アメリカ村の不味い酒。
これが全てだ。
惨敗ツアーの帰り路、車の中でMatutaniが言った。「東京で、もう一度同じライブをやろう!」「今回のリベンジもかねて、これまでのまとめの意味でもこのセットでこの面子でさ!」
それがこのオリジナル『Onna 83 ラストライブ』である。
録音は1983年10月28日東京吉祥寺「シルバーエレファント」
デビューツアーを終えて二ヶ月後のことだった。
このライブを最後にKen Matutaniは抜けYutaka Yasuiも学業へと戻った。
以後OnnaはおれとKulihara Mitchioの二人体制となる。
「未」知なる音楽の探究者。と、自らをして言わしめたのはBob Dylanである。同じくDylanはThe RoIIing Stonesをイギリスの反逆児と呼んだ。
巷で、辻々で、ダンスホールや酒場で溢れ返る音楽がある。ミュージシャンだから音楽を作る者によるmusicである。それは無自覚であり、闇の中いるのと同じ。対してmusicを知るから音楽を作る。
これは無自覚の闇に意識の光りをあてて知る者。そこから創意は未知なる創作を辿る探究の旅となる。当然、探究者は従来の音楽からしてみれば裏切り者で反逆児にならざる得ないのだ。
即ちRock!
おれの無自覚の闇は深く、おれの認識の光りは弱い。
誹謗中傷、無理解が無慈悲にも首縄を持って追いかけて来る。
Franc,osVillonにあやかって
われ追いやりし土牢の勧告状と塩と苔。嘗め囓りたる苦き砂。履き古した靴に猿股。おまけに〆切り付けて一揃え皆に遺す。
全部纏めて丸めて棄てろ!
ところでOnnaの真実は何処に?
そりゃ、分かりきったこと。
それはこの音盤にあるということさ!
ありがとう。
2025.Sep.25
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